大森靖子「君と映画」にみるコンテキスト思考

去年辺りから、アフィリエイトやSEO界隈でも「コンテキスト(コンテクスト)」という言葉が流行し始めましたね。

最近所長がハマっているアーティスト「大森靖子」の曲で「君と映画」という作品があるのですが、その歌詞がコンテクストをうまく表していると感じたので、ここに語ってみたいと思います。

君と映画のコンテキスト

コンテキストとは

コンテキストとは、日本語でいうと文脈という意味なのですが、SEO界隈では、語られた文章が生まれた背景や文脈を意味するものと、筆者自身の(これまで歩んできた・語られてはいない文脈)の双方を含んでいるように思えます。

オーソリティ(権威性)という言葉が以前流行したように、その発言内容のいかんではなく、誰がそれを語ったのか、どういう文脈を持って語ったのかが非常に重視されます。

たとえば、「信じれば夢は叶う」という言葉を誰が発するかによって、その言葉の説得力は全く違いますよね。すでに夢を叶えた人が、そうでない若者に対しての叱咤激励の言葉としての発言であればそれなりに説得力を持ちますが、なにも成し遂げてない人の「夢は叶う」はただの強がりであったり、ただの自己肯定の言葉だったりします。

また、「1ヶ月で◯キロ痩せる方法」という記事があったとしても、それがダイエットの専門家の言葉なのか、実際に◯キロ痩せた人の言葉なのか、ただのアフィリエイターがダイエットサプリw売るために妄想で書いた記事なのか、で説得力がまったく変わります、それがコンテキスト。

同じことばでも、そのサイトや筆者自身の内容するコンテキストによって大きく意味合いが変わってしまう、という考え方です。

大森靖子の「君と映画」の歌詞に出てくるコンテキスト

映画もいいよね 漫画もいいよね
ついついお金を使ってしまうでしょ
知らない誰かに財布を にぎられる にぎられる
テレビもいいけどなんか怖いよね
これが現実かなんか怖いよね
私のリモコン握られる
握ってるみえないヒットラー

私と誰かがデートするとき、映画を見たり、マンガを見たり。
その行為自体は日本中のだれもが経験する、ありふれた行為。独自性なんてどこにもない。自分じゃなくてもいいんじゃないか、相手が大好きな彼なんかじゃなくても、どこにでもありふれた当たり前の行為。
CMやステマに踊らされただけの私の人生、なんかこわいよね、と歌っている。

ロングもいいけどショートもいいね
オリジナルなんてどこにもないでしょ
それでも君がたまんない たまんない たまんない

私の髪型がロングでも、ショートでもどこにもオリジナリティなんてない。だってそれは、好きな芸能人の真似したり、雑誌で見た髪型だったり、ただ君が好きだっていった髪型の真似だったり。

それでも・・・大森靖子は綴る

君がコンビニまでの道 何度私をふり返った
私の幸せ

デートはやめようで語られるような「コンビニで一番高いアイスでエロいことしよう」のためのコンビニへの道すがら。

君とコンビニに行く行為だって、どこにでもありふれたもので、日本人のほぼ全員が彼氏とコンビニに行く行為を経験している。
それでも、ただ君が私を振り返っただけでうれしくなる。君とコンビニに行くだけで私は幸せ。

君と新しい人生をつくるの コピーページにはならない

映画を見る、マンガを読む、コンビニに行く。オリジナルなんてどこにもない。それでも、私と君がいるというコンテキストだけで、それは特別なものになる。

どこにでもありふれたコンテンツであっても、君が書くだけでそれが文脈になる。それがコンテキスト。

だから、コンテキストSEOなんて幻想であって、どこにもそんざいしない 幻なのかもしれない。

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